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【画家】 吉田友幸(よしだ ともゆき)

今回は東近江市小脇町(旧八日市市) にお住いの画家、吉田友幸さんをご紹介します。

大津市の堅田で生まれ、唐崎で制作をされていた吉田さんは、ずっと琵琶湖を見て過ごされました。現在お住まいのこの場所は、お父さんのご実家。空き家だったので広いアトリエにと移られたのですが、「ここに住んでいると琵琶湖が見えないんで調子が悪い」と、幼い頃から眺めていた琵琶湖が心のより所だったと気付かれたそうです。広い田舎の一軒家のアトリエには、吉田さんの作品が溢れています。その中にちょっと違う画風の絵が・・・、絵の好きだったお爺さんが描かれた油絵です。お爺さんの影響は無いと言われますが、子供の頃から絵が好きで、上手いとよく誉められたそうです。誉められるとその気になって、また絵を描き続ける毎日。

中学を卒業する頃には、画家になると決めていたそうです。しかし、美術の学校に入学するわけでもなく、誰かに師事するわけでもなく、好きな美術の先生のいた高校へ進み、卒業されました。新聞のコラムに載っていた建築家の安藤忠雄さんの「35才までは180キロのトップスピードで生きろ」という記事を読み、35才まで勉強すると決められました。その後1年間、スペインのピカソが生まれた町、マラガで武者修行です。そこでは、色々な絵や画風に取り組まれたそうです。自由気ままな気風と生きる事を楽しむ人達に「自分はこうする、こうならねば・・・という狭い世界にいてはダメだと、こだわりが無くなり、良い意味で諦めがついた」と言われます。スペインから帰国後「この風景を残したい、描きとめておきたい」と思い、本格的に画家になる決意をされました。

吉田さんのモチーフは、自分の身の周りのモノ。生物・植物・風景を油絵で描かれます。その油絵も囚われがなく、漆や蒔絵の技術や手法を取り入れられています。元来、目立ちたがり屋で自己主張の強い吉田さんが、我慢して辛抱して、黙り続けていても解ってもらえる作品を作るためにも、古典の江戸琳派から作風や技術を学ぶこともしばしばとか。「語らなくても、主張できる、鮮明感や躍動感のある絵を描いている」と話されます。アトリエの中には何が描いているのか、よく見ないと解りにくい絵もあちこちに。黒と白が得意と言われる吉田さんらしいと言えばそうなんですが・・・。「油絵は良し悪しや出来映えは解らない。色々なコンディションで絵を見ると、パズルの組み合わせの様にひらめくことがあるから、失敗だと思っていても良くなる瞬間があるんだ」と。見慣れた風景が、黒と白、くすんだ彩によって、研ぎ澄まされていく錬金術の様な吉田さんの絵は、とても神秘的です。これらの絵はきっと、これからまだまだ飛躍するんでしょうね。楽しみです。吉田さんは笑顔で言われます「自分の一番の才能は諦めの悪いこと」。決して最後まで諦めない、私たちの生き方にも共通するものがありますね。

木工好きの吉田さんは額も自分で作られ、その出来映えに額を誉められることもあるとか。「額を造るみたいに楽しんで絵かかなあかんな、とお客様から言われた時は結構へこみました」と、「画風やスタイルよりもいい絵を描く
ことが最終到達点。単純に綺麗なものも大切だけど、素直に描くのが一番いいんです」と吉田さんは語られます。



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