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【画家】 垣見 真由美(かきみ まゆみ)

今回は東近江市にお住まいの日本画家垣見真由美さんをご紹介します。

京都で生まれ育った垣見さん、学生時代から絵が好きで、芸術大学で日本画を学ばれました。中学で教鞭を執られていましたが、結婚を期に家庭と子育てを選んで退職されました。卒業以降、本格的な作家の活動は出来なかったのですが、日本画研究会に入会され、師事する先生とのご縁をつないでおかれました。

「家事と日本画は両立できない」と思いを抑えておられたある日、ハイハイをしている子供さんのスケッチを描いてみると、気持ちがスッキリされたそうです。それ以来、育児と家事の合間にスケッチをされるようになり、ご両親も絵を描くことを理解し励ましてくれることで、作家活動が再開できるようになりました。子供を描いた作品を市展に出品し続けているうちに、市展委員を依頼され、東近江市子供美術展など審査員も務められました。

活動から3年後、垣見さんは絵手紙の魅力にひかれたそうです。歴史的な作品の思い出があります。露草の絵に「もういいと言う生はない」と記された病床の方からの力強い絵手紙。「半分っこ、しましょう」と書かれたりんごの優しい気持ち。「絵手紙は絵が上手いとかは関係なく優しい素直な気持ちを伝えることが大切なんです。」と垣見さんは言われます。多いときは年間500枚から1000枚近く描かれていたとか。「絵手紙が欲しくて始めたんですが、返事が待ち遠しくてポストの前で待つこともありました」と垣見さん。そんな姿を見ていたのか、第2子が生まれた時、4歳の娘さんが絵手紙をもってお見舞いに来てくれたこともあったそうです。

絵手紙の講師を依頼されることも増え、子供から高齢者まで年齢幅広く絵手紙の良さを伝えてこられたそうです。また、社会福祉協議会の給食サービスに絵手紙をつけるボランティアを15年間、友人と続けられました。高齢者の中には、その絵手紙を大切に残しておられる方もあるとか。絵手紙には相手の心を和ませる力があるんですね。

絵手紙は垣見さんの創作活動にも影響を与えています。日本画はもとより、絵手紙から派生した「遊彩画」と呼ばれる作風ができ、2008年にはアメリカの北ミシガン州マーケット市との芸術交流で、小学校、中学校、高校、北ミシガン大学でのワークショップを含めて、2ヶ月にわたる展覧会を開催されたのです。その前後から「東近江の芸術を愛する会」にも参加されています。これは、東近江市の芸術家に呼びかけて、地域アートの活性化と活動の支援をしている会です。平和堂八日市店のセントラルコートを中心に「アピアまるごと美術の秋」と銘打って毎年作品展を開いておられるんですよ。セントラルコートに掛けられている全長11メートルの作品、あれが垣見さんの絵です。

そんな垣見さんが今取り組まれているのが「チューリッププロジェクト」です。5月に咲き誇るチューリップ。東日本大震災で被災された皆さん、そして子供達に「1日も早く笑顔を取り戻してほしい」と絵手紙を義援金として、現地に送る準備を絵手紙の仲間達とされているそうです。「チューリッププロジェクトとして少しでも多くの皆さんに協力してほしいのです。様々な形で活動が広がり、その絵手紙を被災地に届けることができれば最高です」と話されます。