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【住職】 青峰 明誓(あおみね みょうせい)


今回は愛荘町島川(旧秦荘町)の願正寺の住職、青峰明誓さんをご紹介します。浄土真宗本願寺派(西本願寺)の住職として、お母様のご実家に入られた青峰さんは、開祖親鸞聖人の教えに従い、地域に根差した普及活動に精進されています。信者である門徒さんのお逮たい夜や参りや報恩講はもちろん、地域の子供達のために毎週土曜学校も開催されています。とは言っても、少子化や過疎化が進むこの地域では、門徒さんの子供はわずか4人。「昔からの住人は100戸ほどやけど、新しい団地が70戸もあって子供はたくさんいるんや。子供達が友達も連れてきてええかと言うんで、来るもの拒まずでやってたら、よう来てくれるようになりましたわ」と青峰さんは笑われます。

夏には一泊泊まりの夏の集い、勤労感謝の日にはお寺開放デーとして新米の収穫を祝う餅つき大会、そして子供報恩講などもされています。「子供報恩講では毎月たくさんの親子が来てくれて、50人くらいの時もあるんやわ」と話されます。願正寺の本堂は100人が椅子に座ってお参りできる、近在では数少ない規模ですが、どこかつつましく建てられた感じがします。

聞けば、江戸時代の浄土真宗に対する制約から、材料や様式が似つかわしくないものが使われているのだとか。そこで5年前の改修の際に、金箔や極彩色を使った内陣を再現されました。本山の御影堂と同じ造りの格天井、そして壁や襖にも自らが岩絵具で、お釈迦様の誕生から涅槃まで、親鸞聖人の布教の旅、弁天様などの仏画を描かれました。実は青峰さんは滋賀大学学芸学部(現:滋賀大学教育学部)で彫塑を学ばれたため、絵を描くことに抵抗はありませんでした。さらに、30年程前から八木荘仏教会で訪問している、七高僧の足跡を辿る中国の旅の体験が青峰さんの背中を押しました。

特に大原の玄中寺と西安の香績寺を回る旅では、大きな感銘を受けられたそうで、帰国するなり部屋に一ヶ月間閉じこもり、一心不乱に絵を描き続けられました。おびただしい数の水墨が所狭しと本堂に吊るされ、絵の完成を待っていました。「門徒さんや出入する人らに、気に入った絵を持って帰ってもらったら、手元に残ったのはこの絵だけになってしまった」と笑われます。

きっと皆さん、大切にされていることでしょうね。さて完成した本堂は、荘厳で華やかで、紺色が鮮やかなものに生まれ変わりました。「格天井の一枚を美大生に頼んでも数万円するし、だったらご縁さんが描いたらと言われその気になったものの…。
何とかやり切れたけど、今ならとても出来んな」と青峰さん。70歳を超えてからの大仕事でしたね

門徒さんのお宅にお参り出掛けられますが、命日に床の間に掛ける仏掛けの軸がなければ、今でも自分が絵と書を書いた掛け軸を供養にと配られています。「絵は専門じゃないからたいして上手くないけど、亡くなった方の供養やわな」と青峰さんは笑われます。またお参りに出向かれる度に、この様なお言葉と絵を描かれたものをプレゼントされているそうですよ。何時までもお元気で、ご活躍されますように。


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